第九十七回
クラシックとジャズの稜線を行き来する現代の音楽

2026.02.01

文/岡崎 正通

クラシック音楽とジャズの境界を跨いで活動を続ける現代のプレイヤーたち。ジャンルにとらわれることなく奔放な感性の飛翔が聴かれる作品は、本コラムでもいくつか紹介してきているが、そんな自由な発想が楽しめる近作を3枚ピックアップする。

♯313 クラシック音楽に真正面からアプローチをみせたミカ・ストルツマンの最新作

クロッシング・ザ・バー/ミカ・ストルツマン

「クロッシング・ザ・バー/ミカ・ストルツマン」
(Tokyo M-Plus RAV-2807)

世界的な活躍をみせるマリンバ奏者、ミカ・ストルツマンの最新アルバム「クロッシング・ザ・バー」は、彼女がクラシカルな楽曲にアプローチをみせた意欲作である。<シャコンヌニ短調>と題された一曲目は、J.S.バッハが1720年に書いた「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」の最後のパートにあたる変奏曲。すでにミカ・ストルツマンはこの曲をマリンバの独奏でも録音しているものの、ここではボストン交響楽団の弦楽アンサンブルなどを加えた新しいアレンジでプレイしている。18分にわたる演奏で、テンポをゆったりとっているところから、いっそう典雅な抒情が広がってゆくようで、マリンバと弦との対話からも濃密な香気が立ち込めてくる。続く<ブレスターン>は、ミカが頻繁にコラボレーションをおこなってきたジョン・ゾーンの作品で、彼女の夫でもある名クラリネット奏者、リチャード・ストルツマンが参加する。最大の聴きものはグラミー賞にもノミネートされた作曲家、挾間美帆がミカ・ストルツマンの為に書き下ろした「マリンバ協奏曲第一番」で、これが世界初録音。ジャズ・ベースとジャズ・ドラムも加わっていて、張りつめたテンションとともに変幻自在に流れてゆくような、挾間ならではのコンテンポラリーな音楽表現が聴かれる。

ミカ・ストルツマンは昨年暮にジャズ作品「メモリーズ・オブ・トゥモロー」も出していて、ほぼ同時期にジャズ、クラシック作品を2枚リリースしたあたりからも、両分野を自在に行き来する彼女のスタンスがよく分かる。木の質感が生かされたマリンバの響きをリアルにとらえた録音も素晴らしく、オーディオ的にも興味深い一作になっている。

♯314 キースの即興スコアを“作品”として演奏した話題盤

ザ・ケルン・コンサート/山口ちなみ

「ザ・ケルン・コンサート/山口ちなみ」
(ディスクユニオン 寺島レコード TYR-1135)

ソロ・ピアノの世界に独自の境地を切り開いていったキース・ジャレットによって1975年、ECMレーベルに録音された「ケルン・コンサート」。何も決めずに、ステージ上で感情のおもむくままに即興プレイを演じてゆくというキースならではの“ソロ・ピアノ手法”は、いくつもの名盤を生み出していったのだったが、内容的にも一、二を争う名盤がドイツのケルンで開かれた本コンサートだった。充実度と人気の高さから「ケルン・コンサート」の演奏は譜面化されて91年に出版され、研究者のために貴重なスコアになっていたものの、その楽譜を“作品”としてステージで演奏したり、スタジオで録音したプレイヤーはほとんどいなかった。そんなキースが即興で演じたスコアを真正面から取り上げ、古典曲のように“作品”として演奏するという大胆な試みに挑んだのが、クラシック・ピアニストの山口ちなみさん。

山口ちなみは大阪芸術大学の演奏学科を首席で卒業したピアニストで、2017年に紀尾井ホールでリサイタルを開いたのをはじめ、近年はラフマニノフのピアノ協奏曲を大阪交響楽団と共演するなど、クラシックの世界で注目を集めはじめている。演奏者の個性を加えながら楽譜に忠実にプレイするのはクラシック音楽の手法。その基になった楽譜はジャズの即興という“ありそうでなかった”試み。50年前にキースが演じた即興ソロが、今日の音楽として蘇っているのが、とても興味深い。山口が弾くピアノはベーゼンドルファー。東京、関口台スタジオでの収録で、録音もとても素晴らしい。

♯315 ETJのクラシック・レパートリーを最新リマスターで聴く

オール・タイム・フェイヴァリッツ/ヨーロピアン・ジャズ・トリオ

「オール・タイム・フェイヴァリッツ/ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」
(ポニー・キャニオン PCCY-30253)

ヨーロピアン・ジャズ・トリオ(EJT)は、その名のとおりジャズを演奏するピアノ・トリオ。1988年に結成されて、ピアニストが現在のマーク・ヴァン・ローンに替ってからでも、すでに30年余りの長きにわたって活動を続けてきた。オーソドックスなジャズのトリオであるものの、彼らが演奏するレパートリーはヨーロッパ人の感性もあってか、クラシックの名曲が数多い。“トリオに参加した時から、クラシック曲を自分なりのアプローチで表現してみたいという気持ちを強くもっていた。ETJは僕の考えを実現することのできる理想的なトリオなんだ・・”とヴァン・ローンが語るように、彼らはクラシックの名旋律を好んで素材に取りあげて、小粋なアレンジで気持ちよく聴かせてくれる。

昨年(2025年)暮にリリースされた「オール・タイム・フェイヴァリッツ」は、そんなETJのベスト・アルバムで、半数がクラシック曲のメロディーにアプローチしたものになっている。一曲目の<幻想のアダージョ>(adagio)はベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」の第2楽章のメロディー。バッハも<主よ、人の喜びよ>と<G線上のアリア>、ショパンも<別れの曲><マズルカ第1番><別れのワルツ>の3曲が素材に選ばれている。過去のアルバムに含まれていた演奏の中からチョイスしたベスト盤であるものの、今回のリリースにあたって新たにマスタリングがおこなわれており、オリジナル盤と比べても音質がさらに向上している。

筆者紹介

岡崎正通

岡崎 正通

小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。