第十七回
これからも長く聴き続けてゆきたい名盤の数々

2019.06.01

文/岡崎 正通

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ジャンルやスタイルを超えて心にのこる音楽の数々。けっして派手ではなくとも、確かな個性をもった自然な表現は、聴く人の心を豊かに満たしてくれる。長い間にわたって聴いて、これからも聴き続けてゆくであろう名作品の数々である。

♯50 プリンツの名人芸と、ウィーン・フィルの柔らかい音色に酔う

モーツァルト:クラリネット協奏曲/カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アルフレッド・プリンツ(クラリネット)

「モーツァルト:クラリネット協奏曲/カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アルフレッド・プリンツ(クラリネット)」
(タワーレコード ユニバーサル・ヴィンテージ・コレクション PROC-2131 3枚組)

誰もの心を豊かに満たしてくれるモーツァルトの音楽をとびきりの名演で耳にするのは、格別に贅沢な時間を過ごすことでもある。交響曲や室内楽、ピアノ曲をはじめとする多くの作品の中でも、とりわけ個人的に深い愛着をもっているのが、死のわずか前に書かれて、モーツァルト最後の協奏曲になったクラリネット・コンチェルトだ。カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。ウィーン・フィルの首席クラリネット奏者だった名手アルフレート・プリンツが限りなく優美な表情で聴かせる本盤。すべてを悟りきったかのような天才が楽譜に記した、どこまでも澄みきった安らかな世界が、この上なく典雅に奏でられてゆく。とくに第2楽章の美しさには言葉がない。

1972年秋に吹き込まれ、翌年のファゴット協奏曲とカップリングされたLPが74年にリリース。すぐに国内盤LPも発売になった。名曲ゆえに他にも良い演奏が多くのこされているのは承知の上でも、このような名演が体に刷り込まれてしまうと、これがスタンダードとして心の中に定着する。こういう演奏は楽器のリアリティなどより、ウィーンの柔らかい響きを味わうべく、できればアナログLPで聴きたい。CDで妙なデジタル・マスタリングが施されたものは敬遠したいが、近年タワー・レコードから発売になった「モーツァルト:管楽器のための協奏曲集」に収められているものは、かなり素直な美音になっていると思う。この演奏の、初めてのSACD盤というのも価値あるところだろう。

♯51 人生の美学が凝縮されているようなレナード・コーエンのライブ・ステージ

レナード・コーエン/ライブ・イン・ロンドン

「レナード・コーエン/ライブ・イン・ロンドン」
(Sony Music SICP-2232)

カナダ生まれのフォーク=ロック界のスターにして、詩人、小説家でもあるレナード・コーエンが2008年におこなったワールド・ツアーから、ロンドンでのステージを収めたライブ2枚組。彼としても15年ぶりになったツアーでは、70万人もの観客をあつめたという。グラミーの生涯功労賞をはじめとする数々の名誉にも輝いたレナード・コーエン。時代とともに年輪を重ねてきたコーエンの歌声が、大きな説得力をもって届いてくる。

初期の代表曲<電線の鳥>や大ヒットした<ハレルヤ>をはじめ、すべての曲がさらに風格を増した低音ヴォイスで聴かれる。マデリン・ペルーなどがカヴァーした<哀しみのダンス>にしても、84年のオリジナル録音よりもぐっと深みのある表現になっている。女性コーラスにメロディーを歌わせて、自身の語るような表情を乗せてゆくコーエンならではの流れも、いっそうの味わいを増している。豊かに時代を過ごしてきたレナード・コーエンの人生の美学が凝縮されているようなステージで、2時間にわたるライブを一気に聴き通してしまった。2016年に82才で亡くなったが、あらためて彼の死も惜しまれる。

♯52 心地よい時間が流れて、夜が更けてゆく

ケニー・バロン・トリオ/ライヴ・アット・ブラッドレイズ

「ケニー・バロン・トリオ/ライヴ・アット・ブラッドレイズ」
(GITANES-549 099 輸入盤)

いつも変わることなく、味わい深いタッチを繰りひろげて多くのファンを魅了し続けてきたピアニストのケニー・バロン。そんなバロンのトリオ・アルバムの中でも、ひときわ渋く、いぶし銀のような光をはなっているのが、96年に吹き込まれた本ライブ・アルバム。

“ブラッドレイズ”は、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジにあった小さなクラブ・バーで、バロンのトリオもいっそうリラックスして、肩の凝らないプレイを聴かせてくれる。普段着のままのケニー・バロン・トリオ。ベニー・グッドマンなどが演奏したスイング時代の名曲<エヴリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビー>を、お洒落なタッチで演じてゆくケニー・バロン。ウィスキー・グラスを傾けながら聞いていると、まるでクラブの片隅にいるような極上の気分が味わえる。くつろいだライブということで自然に演奏も長くなるが、そんなことはまったく感じさせることなく、心地よい時間が流れて夜が更けてゆく。

♯53 歌心あふれるエリック・アレキサンダーのバラード・プレイ

ジェントル・バラッズ/エリック・アレキサンダー・カルテット

「ジェントル・バラッズ/エリック・アレキサンダー・カルテット」
(ヴィーナスレコード CD⇒VHCD-78008, SACD⇒VHGD-0060)

90年代の初めに華麗なデビューを飾って以来、一貫してハード・バップの王道をゆくプレイを繰りひろげて多くのファンの心をとらえてきたエリック・アレキサンダー。そんな彼がバラードを中心に演奏した2004年のアルバム。豊かにメロディーを歌わせることを身上としているエリックの音楽的美質が、このようなバラードで存分に発揮されるのは言うまでもない。

そんなエリックならではの魅力は、オープニングの<ミッドナイト・サン・ウィル・ネバー・セット>から全開。北欧の白夜を描いたメロディーをロマンティックに歌いあげる。<レフト・アローン>と<ソウル・アイズ>の2曲はマル・ウォルドロンの作品。その<ソウル・アイズ>では深く沈み込むようなテーマが吹かれたあと、エリックならではのエモーショナルな世界が繰りひろげられてゆく。このアルバムが好評だったので「ジェントル・バラッズ」は、シリーズとして「第5集」まで続けられた。エリックの比類ない歌心に焦点を当てた名企画であり、その端緒になったという点でも不朽の価値をもっている一枚と言えると思う。

筆者紹介

岡崎正通

岡崎 正通

小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。